竹内街道A  2021年12月20日

天気も昨日と変わらず、今年最後の挑戦とします。昨日と比べれば、はるかに充実したウォークとなりました。服装も真冬バージョンに変えたので、暑くて困ったほどでした。9q+おまけ(4q)

なお、竹内街道Bについては、 (暖かくなった) 桜のころに、太子町を訪れたいと思っています。以前に「太子快道」シリーズで訪れましたが、次回は竹内街道がらみになります。楽しみは大事に取っておくのが肝心だと思います。。


河内松原駅前から近鉄バスに乗って「岡町」までやって来ました。昨日の続きが始まります。



中高野街道を歩いた時に訪れた岡五丁目です。竹内街道の方が大々的に宣伝されています。



直ぐ近くに古い道標あり

左 ふちゐ寺
  上太子  道
  やまと 



修理されています

右 さやま
  かうや



緑の一里塚 立部1丁目




新ヶ池 このようなため池が、次々と現れました。




緑の一里塚 羽曳野市「野」村




さすってお祈りをしましたが、たちどころに治ったというわけではありませんでした。



東除川に架かる伊勢橋を渡りました。




高灯篭

街道の目印になります。ここから野中寺にお邪魔しました。いずれここまで戻って、街道歩きを再開します。



歴史街道:日本書紀が原典

推古天皇21年(613年)完成
竹内街道は丹比道とも呼ばれた
推古天皇の都、豊浦宮(小墾田宮とも)と大小路を結ぶ



野中寺前の道路は昔々、車で通ったことがあります。




上之太子 叡福寺
中之太子 野中寺(初)
下之太子 大聖勝軍寺




欠かせません(野中寺)




お染久松の墓(野中寺)




白鳥通り

そもそも(調べてみました)
「羽曳野」という名前は、没後白鳥となったヤマトタケルがこの地に舞い降り、天高く飛びさった様子が「羽を曳くが如く」だと伝わる、「白鳥伝説」に由来しています。



白鳥陵古墳(日本武尊陵)を目指す。

古市古墳群に絡めて何となく聞き覚えがありました。それは古墳のことよりも、道の駅「しらとりの郷」からきた可能性もあり。何度も訪れていますので。。

こちらは「はくちょう」と読むようです。



外環状線(新)を越えるための歩道橋




「ウォーキング・トレイルはびきの」を歩く。



初めて訪れますが、いつか見たような気にさせる古墳です。わたしの好きなニサンザイ古墳にも匹敵するつわものに間違いなし。



白鳥




もう一つの外環状線(古)を越えると、そこは古市駅ですが、このまま帰るのはもったいないので、もう少しだけ街道を歩きます。



白鳥神社

古市街道を歩き終えて古市駅に向かうとき、この神社内を素通りしました。近道なので、みなさんが便利に利用しているように思います。

このあと、東高野街道と交差するところを通りましたが、写真は誤って消してしまいました。特に惜しいものではありません。



大乗川は石川に並行して流れているようです。どこかで、その名前を見たことがあります。



(引き続き)石川に架かる臥龍橋を渡ります。




道なりに進んで来ました。この交差点には記憶が残っています。河内国分から歩いて来た道です。駒ヶ谷で止まらず、さらに石川を越えていったように思います。



駒ヶ谷駅、ここが終点です。




おまけ 駒ヶ谷駅前に「チョーヤ梅酒」あり。